datemasayumeのブログ

宮城県のだて正夢って米がめちゃくちゃ美味しいんで本当に美味しいから食べて。

頰に涙を流したいひとのブログ

決してブログを書いてくださいとせっつかれたから思い出したかのように せっせと書いているわけではないが、今回は薬のお話。

 

家族や友達の多くは知っていることなのだが、私はここしばらく「ルーラン」という抗精神病薬漢方薬を飲んでいる。

1錠を4つに割って、まるでビーズのようにほんの少し。1日3回。だったけど忘れちゃう時もあって飲まない時もあったし、あまりに小さいからコロコロ転がってどこかに落っことしちゃった時もある。

そんな感じだけど去年の半ばからもうしばらくは、一応飲んでいる。

 

 

 

最初に処方された薬より頭が痛くならなかったから飲んでみるようになったものの、効き目も分からなかったし、毎日三食飲むのが億劫だし、何より得体のしれない薬を飲むこと自体が嫌だった。

 

でもいつだか、会社からの連絡に耐えかね、原因のわからない体調不良に耐えかね、生きていくことに耐えかねたから、なんの気もなしに死んでしまいたくなったことがあった。

思ってしまうのは簡単で、私の心はいとも簡単に駅のホームから軽やかにジャンプして線路に降りた。あとは電車がこのホームに入って来るのを待つだけ。いつにしよう。いつなら都合がいいんだろう。不思議なことになんだかちょっと楽しかった。

 

 

しかしその気持ちはいつの間にか悲しい気持ちに変わっていた。

大好きな人がたくさんいるのに、その誰の顔も見られなくなり、誰の言葉も届かなくなる。その考えが少しでもよぎれば悲しくて、一人乗った電車の中で声も無くただただ泣いた。

 

死にたくないな、本当は死にたくないんだな、死にたくないのに死にたい気持ちが湧き出てきちゃうから辛いんだな。

じゃぁ辛くなくなれるようにできることがあるなら、なんでもやってみよう。やらなきゃ。

そう思ってから、薬をちゃんと飲むようになった。

 

 

 

 

そんな頃からもうどれだけ経ったのか、思い出せないくらい、普通の人のように暮らせるようになった。

新しい職場で過剰に傷つくことがなかったからなのか、家で我儘放題やっているからなのか、毎日飲むようになった薬のおかげなのか、分からないが、今はわりと普通だ。

でも最近、ふと気づいた。

頰に伝うほどの涙を流すことが、無くなっていた。

 

 

悲しくても嬉しくても、昔は心が動けば泣いていた。感受性は豊かだから、どちらかというとすぐ泣く方だったはずなのに。

目が潤むことはあっても、大粒の涙が頰を伝うことがない。

泣かなくなっただけなのに、泣けなくなっていたことが自分にはなんとなく、ショックだった。

 

 

今飲んでる薬は、不安定な心を平らにするための薬。そうだった。

このとき初めて、薬が効いていたことに気づいた。

 

 

 

 

 

 

元々お守り程度だったから、増える心配は無いんだけど。

私は私が結構好きだったみたいである。