結婚して幸せになりたいひとのブログ
こういうタイトルを書くと、読む人によっては「え、じゃぁこの人結婚もしてないし幸せじゃないんだな」とか思ってしまうと思う。思ってもらってもいいのだが、良いがしかし良くはない。
私は今年、結婚した。感覚に忠実に言うなら結婚なるものをしてみたというところだと思う。
しかし幸せにはなっていない。
理由は二つ。一つは、別に結婚する前から「ほどほどに足りてる」という意味合いで幸せだったからだ。これは誰しもそうだと思う。
そしてもう一つの理由は、結婚したとて私の人生には何か特別の良い事は与えられなかったから。
今現在戸籍を同じくする人とは、別個の戸籍に存在してた頃からなんとなく同じ家で同じ釜の飯を食べていたし、
結婚などという大事になる前から親にも彼の人の存在は認知してもらえていた。
だから私にとって差し迫って結婚の必要は無かった。
あらゆるロマンチシズムの欠片を排除し、冷たく聞こえてしまうのを承知で言うと、実際わたしたちの結婚は相手方が必要性を感じたからそれに協力することに同意したという形であったと捉えられる。
それにしても結婚式までやっておいて「幸せになってない」なんてご祝儀返せ!と言われかねないだろう。そうは言っても幸せを感じるでしょう?と言われるかもしれない。
批判を恐れて言うのではないが、結婚式に友人を招待して喜んでいただく、知人からお祝いをいただく、これらのことは人生でこれ以上ないくらい嬉しいことだ。ご縁のある方々が「わたしたち二人の結婚」を喜び、笑顔やお祝い、祝福の言葉。何かしらの形でプレゼントをいただいているのだ。嬉しいに決まっている。だが、それは素晴らしい人たちと知り合えての幸せだとか、何物にも代え難い友人を持っての幸せだ。
結婚の幸せとは違う。
結婚の幸せは。
結婚したからねぇ〜と言って手の内にすっぽり収まってはくれない。
結婚したからマイホームが建てられるかと言えばそうではないし、
結婚したから子どもが育てられるかと言えばそうではないし、
結婚したから百歳まで一緒に住めるかと言えばそうではないのだ。
お祝いの言葉に水を差す、非常に野暮なことを言っているのは理解している。
しているがしかし、なのだ。
勤務地、転職、金銭的ゆとり……これらの問題は回り続ける。
幸せになるためには、自ら努力し弛まず進み続けなければならぬのだ。幸せは己が手で掴み取らねばならないのだ。
本当にこれが巷で幸せになれると噂の結婚、なのだろうか。きっと違う、と思う。
結婚したから幸せでしょの圧力が加わることを考えれば、むしろ本当はちょっと幸せじゃないくらいなのに。
結婚して幸せになりたいと思うのも、結婚して幸せそうだなぁと思うのも、すべては個人の自由だ。
もしもそれらが権利として保障されるなら、わたしにも結婚したけど幸せになりたいと言う自由があって然るべきだ。
そうでないと暴れる。
結婚したとて幸せになれるとは限らない。
結婚したから幸せになれるのではなくて、そもそも結婚できる相手がいるのが幸せなんだけど、でも結婚した相手とこの先一緒に居られないのはやっぱり幸せじゃないのではないだろうか。
したがって私は幸せになりたい。早いところ。
今私の手の内にきちんと収まってくれている、同居人の美味しいご飯を食べながら、ふたりで炬燵に並び入ることができる4ヶ月間という幸せは、他人にとっては一体どれくらいの幸せなのだろう。